ひさびさに欧州鉄道を取り上げてみます。お題は【欧州のディーゼル機関車】

日本のディーゼル機関車に多大なる影響を与えた西ドイツ@液体式を中心にお送りします。

日本のディーゼル機関車に多大なる影響を与えた西ドイツ@液体式を中心にお送りします。
《始祖に機械式ってのがありました。。。》
非電化路線の牽引機@ディーゼル機関車は現在、機構の違いにより【液体式】と【電気式】があります。
欧州では【電気式】が大いに発達!内燃機関で発電し、モーター駆動により走行する【電気式】は技術的に比較的容易ですが、自車に発電システムと駆動制御システムを有するため重量がかさみます。

高出力化で重くなるのが常の機関車ですが、標準軌に重路盤を採用し蒸機時代から巨人機が闊歩していた欧州。そんなストレスフリーな好環境下!新分野の開発は盛況を誇っていました。
日本のディーゼル機関車黎明期、1957年に欧州の技術提携で【DF50@電気式】が登場。しかしF級機関車でC57@蒸機程度、、、出力不足でした。。。この時期では既存の【電気式】で出力を上げる場合、発電用のエンジンを大型化する手法が一般的でした。しかし、日本の狭軌@軟弱路盤の環境下では【電気式】の高出力化による重量増大が技術的に相殺できませんでした。。。
そこに!1955年にトルクコンバーターを用いた世界初の本線級液体式ディーゼル機関車が独逸にて爆誕!その【液体式】はシステム自体がコンパクトなので【電気式】より軽量化が可能!、、、日本の環境下で必要な出力と重量の問題を考えると【電気式】より【液体式】に期待を掛けることに。

ただし【液体式】は新分野であるオイルシーリングなど高精度の技術が必要。その技術は独逸企業に頼るところが大きかったのでした。独逸企業からエンジン・トランスミッション等の技術を輸入、ライセンス生産は認められたものの独自改良は許されず・・・1966年登場の『あの棒高跳びの人』で痛い目を見た日本です。。。シャフト長さが前後非対称など稼働前から設計ミスぢゃね?とみられてたそうですw
現在では【電気式】の各種装置が大幅に小型軽量化され、大出力・ハイブリットなどに対応!世界的にも『電気式が主流』となっています。
《驚きの構造!コンパクトで優秀な万能機♪ 降臨 》
西ドイツ機では1953年に【V80】が1100PSエンジン・1基x液体変速機@トルクコンバーター搭載でデビュー。
日本の【DD13@1958年デビュー】に通ずるセンターキャブ形態の前後対象のレイアウトを確立しています。

西ドイツは【V80】の1100PSエンジンx液体変速機と互換性の或る動力ユニットx2セット搭載の旅客用ディーゼル機関車を設計。
それが1955年に登場した 急行旅客用液体式ディーゼル機関車【V200.0】デス。

じつは【V200.0】世界初の本線級液体式ディーゼル機関車であります!

驚くべきはエンジンから台車までの動力伝達システムのコンパクト化!
車体中央のSG@蒸気発生装置から前後対象にラジエター・エンジン・液体変速機@トルクコンバーター・台車・運転台のレイアウト。

この液体変速機が台車直上から台車内部に設置!台車の軸距はエライことに!

さらに重量軽減のため内側フレームを採用!軸受けはどぉなってるのやら・・・

液体変速機の搭載空間高さを稼ぐため運転台床は凸型に!

助手席の足元はスゴイ高さ!そして前方に広い空きスペース。。。

極端に外側にレイアウトされた運転台。マスコンはドイツ機には珍しいL字型。
この運転台が左右に繋がっていないレイアウトは日本では異様でしょ?
じつはトランスミッションの整備の際は運転台を液体変速機が通過できるスペース確保のため運転機器は端っこにレイアウトされていたのです!

信じられるか?屋根開口部からアレが運転室を通過して台車まで落とし込むんだぜ・・・
前面のハッチは米国DLのよぅな貫通扉では無く、オルタネーター@発電機と油圧ポンプの点検ハッチです。
《栄光の新機軸機!》
1951年、ドイツも第2次大戦後から復興しはじめ戦前のようなドイツの看板国際列車が走り始めました。戦前の39年式23.5m級スカート付き客車(Schürzenwagen)を改装。カラーリングは鉄青色に銀帯を巻き、車体中央に〔DEUTSCHE BUNDESBAHN〕【西ドイツ国鉄】の名が大書きされた専用車両が用意されました。

復活した国際列車に使われた愛称名は【ラインゴルト エクスプレス】(Rheingold-Express)
青い客車に赤い機関車!そしてお揃いの社名大書き!!
他国へ乗り入れる国際列車を牽く新鋭機【V200.0】は『西ドイツの復興』をアピールするには打って付けの機関車でした♪
客車編成牽引ゆえにSG@蒸気発生装置を車体中央部に搭載。
DD51も車体中央のキャブ内にSG搭載してますよね~前後対象@バランス的に中央部がマストな様です。

その給水シーンが衝撃的!ドイツ蒸機の給水口はテンダーの左右にあるので当事者にとっては普通の光景なんでしょうね~ しかし側面にパカッと開く給水口。。。合理的なドイツ人ならではだね~

V200.0は旅客急行列車から重連で貨物牽引まで万能機関車っぷりを遺憾なく発揮!
トルクコンバーター開発は難しく各国が手を引く中、世界初の本線級液体式ディーゼル機関車@V200.0で『液体式は独逸』の印象が強く刻まれました。
《イイ感じのマイナーチェンジ車♪》

1958年までに86両が誕生した【V200.0】は好評っだったため、、、
1962年にエンジン出力強化版【V200.1】が登場します。

【V200.0 量産機】 1100PSエンジンx2基・2200PSに対して。。。
【V200.1】 1350PSエンジンx2基・2700PS。1965年までに50両製造。
前照灯@丸型・側面モニターおよび明かり窓形状変更。

運転台@マスコンは欧州ではお馴染みの丸ハンドルへと変更されました。が、片隅に追いやられた極狭運転台ってコトは・・・液体変速機は引き続き運転室を通過するようです。。。

1968年にDB@称号変更により【V200.0→BR220形】【V200.1→BR221形】に形式変更。
両形式ともにマイバッハ製V12エンジンを2基搭載、SG搭載のためエンジン1基搭載のV180などに比べ維持費などが高額であることから1984年にドイツ国内運用終了。
他国へ売却される事例も!特にスイス連邦鉄道@SBB売却されAm4/4形として1997年まで使用されたのは有名。

また、ベルリンに本拠を置くPrignitzer Eisenbahn GmbH (PEG) に舞い戻って活躍する【BR221形】もありました。
《めっちゃ長い人 降臨!》
ドイツ@クラウス・マッファイ社が1957年に試作した液体式ディーゼル機関車。

1955年にDBはクラウス・マッファイ社と共に【V200.0】をトルコ・ギリシャ・ユーゴスラビアにてデモ@商談ツアーを行ったところ、ユーゴスラビアが関心を示しました。しかしユーゴスラビアの鉄道は軸重16t。
そこで【V200.0】を1100PSエンジンx2基搭載・1台車@1軸の入力で3軸を同期駆動の軸配置C'C'@6軸駆動車に再設計。【ML 2200 C'C'】3両を製造。1957年にユーゴスラビア@ベオグラードへ納品しました。

【DB@V200.0由来】で開発されたコトもあり、面影ソックリw 非常に独特な外見をした3軸台車は2軸目が見えにくいのでバカ長い軸距に見えますw
1978年まで【政府チャーター列車@ブルートレイン】の専用機を務めた後、一般機関車として使用され1991年に使用停止。現在も廃車体が残ってるってハナシです。。。
《その長い人、ふたたび !?》
1957年にクラウス・マッファイ社は独自に4両目の【V200.0ベース6軸車】を製作!ユーゴさん即納できまっせ♪っとフライング生産でした。。。
しかしテスト走行で最高速度が十分で無いコトが判明!1年をかけて再建します。
1500PSエンジンx2基搭載に改め【ML 3000 C'C'】と型式変更。

1963年にDBにリースされ【V300 001】の名を受け、翌年1964年にDBに購入されました。
1968年のDB@称号変更により【V300 001→BR230 001】にふたたび形式変更。
1975年までDBで使用。1977年にイタリアに売却されたが全長ながすぎ!でキャンセル!?
1978年にドイツへ持ち帰り、、、1980年に解体されたそぉな。。。
非電化路線の牽引機@ディーゼル機関車は現在、機構の違いにより【液体式】と【電気式】があります。
欧州では【電気式】が大いに発達!内燃機関で発電し、モーター駆動により走行する【電気式】は技術的に比較的容易ですが、自車に発電システムと駆動制御システムを有するため重量がかさみます。

高出力化で重くなるのが常の機関車ですが、標準軌に重路盤を採用し蒸機時代から巨人機が闊歩していた欧州。そんなストレスフリーな好環境下!新分野の開発は盛況を誇っていました。
日本のディーゼル機関車黎明期、1957年に欧州の技術提携で【DF50@電気式】が登場。しかしF級機関車でC57@蒸機程度、、、出力不足でした。。。この時期では既存の【電気式】で出力を上げる場合、発電用のエンジンを大型化する手法が一般的でした。しかし、日本の狭軌@軟弱路盤の環境下では【電気式】の高出力化による重量増大が技術的に相殺できませんでした。。。
そこに!1955年にトルクコンバーターを用いた世界初の本線級液体式ディーゼル機関車が独逸にて爆誕!その【液体式】はシステム自体がコンパクトなので【電気式】より軽量化が可能!、、、日本の環境下で必要な出力と重量の問題を考えると【電気式】より【液体式】に期待を掛けることに。

ただし【液体式】は新分野であるオイルシーリングなど高精度の技術が必要。その技術は独逸企業に頼るところが大きかったのでした。独逸企業からエンジン・トランスミッション等の技術を輸入、ライセンス生産は認められたものの独自改良は許されず・・・1966年登場の『あの棒高跳びの人』で痛い目を見た日本です。。。シャフト長さが前後非対称など稼働前から設計ミスぢゃね?とみられてたそうですw
現在では【電気式】の各種装置が大幅に小型軽量化され、大出力・ハイブリットなどに対応!世界的にも『電気式が主流』となっています。
《驚きの構造!コンパクトで優秀な万能機♪ 降臨 》
西ドイツ機では1953年に【V80】が1100PSエンジン・1基x液体変速機@トルクコンバーター搭載でデビュー。
日本の【DD13@1958年デビュー】に通ずるセンターキャブ形態の前後対象のレイアウトを確立しています。

西ドイツは【V80】の1100PSエンジンx液体変速機と互換性の或る動力ユニットx2セット搭載の旅客用ディーゼル機関車を設計。
それが1955年に登場した 急行旅客用液体式ディーゼル機関車【V200.0】デス。

じつは【V200.0】世界初の本線級液体式ディーゼル機関車であります!

驚くべきはエンジンから台車までの動力伝達システムのコンパクト化!
車体中央のSG@蒸気発生装置から前後対象にラジエター・エンジン・液体変速機@トルクコンバーター・台車・運転台のレイアウト。

この液体変速機が台車直上から台車内部に設置!台車の軸距はエライことに!

さらに重量軽減のため内側フレームを採用!軸受けはどぉなってるのやら・・・

液体変速機の搭載空間高さを稼ぐため運転台床は凸型に!

助手席の足元はスゴイ高さ!そして前方に広い空きスペース。。。

極端に外側にレイアウトされた運転台。マスコンはドイツ機には珍しいL字型。
この運転台が左右に繋がっていないレイアウトは日本では異様でしょ?
じつはトランスミッションの整備の際は運転台を液体変速機が通過できるスペース確保のため運転機器は端っこにレイアウトされていたのです!

信じられるか?屋根開口部からアレが運転室を通過して台車まで落とし込むんだぜ・・・
前面のハッチは米国DLのよぅな貫通扉では無く、オルタネーター@発電機と油圧ポンプの点検ハッチです。
《栄光の新機軸機!》
1951年、ドイツも第2次大戦後から復興しはじめ戦前のようなドイツの看板国際列車が走り始めました。戦前の39年式23.5m級スカート付き客車(Schürzenwagen)を改装。カラーリングは鉄青色に銀帯を巻き、車体中央に〔DEUTSCHE BUNDESBAHN〕【西ドイツ国鉄】の名が大書きされた専用車両が用意されました。

復活した国際列車に使われた愛称名は【ラインゴルト エクスプレス】(Rheingold-Express)
青い客車に赤い機関車!そしてお揃いの社名大書き!!
他国へ乗り入れる国際列車を牽く新鋭機【V200.0】は『西ドイツの復興』をアピールするには打って付けの機関車でした♪
客車編成牽引ゆえにSG@蒸気発生装置を車体中央部に搭載。
DD51も車体中央のキャブ内にSG搭載してますよね~前後対象@バランス的に中央部がマストな様です。

その給水シーンが衝撃的!ドイツ蒸機の給水口はテンダーの左右にあるので当事者にとっては普通の光景なんでしょうね~ しかし側面にパカッと開く給水口。。。合理的なドイツ人ならではだね~

V200.0は旅客急行列車から重連で貨物牽引まで万能機関車っぷりを遺憾なく発揮!
トルクコンバーター開発は難しく各国が手を引く中、世界初の本線級液体式ディーゼル機関車@V200.0で『液体式は独逸』の印象が強く刻まれました。
《イイ感じのマイナーチェンジ車♪》

1958年までに86両が誕生した【V200.0】は好評っだったため、、、
1962年にエンジン出力強化版【V200.1】が登場します。

【V200.0 量産機】 1100PSエンジンx2基・2200PSに対して。。。
【V200.1】 1350PSエンジンx2基・2700PS。1965年までに50両製造。
前照灯@丸型・側面モニターおよび明かり窓形状変更。

運転台@マスコンは欧州ではお馴染みの丸ハンドルへと変更されました。が、片隅に追いやられた極狭運転台ってコトは・・・液体変速機は引き続き運転室を通過するようです。。。

1968年にDB@称号変更により【V200.0→BR220形】【V200.1→BR221形】に形式変更。
両形式ともにマイバッハ製V12エンジンを2基搭載、SG搭載のためエンジン1基搭載のV180などに比べ維持費などが高額であることから1984年にドイツ国内運用終了。
他国へ売却される事例も!特にスイス連邦鉄道@SBB売却されAm4/4形として1997年まで使用されたのは有名。

また、ベルリンに本拠を置くPrignitzer Eisenbahn GmbH (PEG) に舞い戻って活躍する【BR221形】もありました。
《めっちゃ長い人 降臨!》
ドイツ@クラウス・マッファイ社が1957年に試作した液体式ディーゼル機関車。

1955年にDBはクラウス・マッファイ社と共に【V200.0】をトルコ・ギリシャ・ユーゴスラビアにてデモ@商談ツアーを行ったところ、ユーゴスラビアが関心を示しました。しかしユーゴスラビアの鉄道は軸重16t。
そこで【V200.0】を1100PSエンジンx2基搭載・1台車@1軸の入力で3軸を同期駆動の軸配置C'C'@6軸駆動車に再設計。【ML 2200 C'C'】3両を製造。1957年にユーゴスラビア@ベオグラードへ納品しました。

【DB@V200.0由来】で開発されたコトもあり、面影ソックリw 非常に独特な外見をした3軸台車は2軸目が見えにくいのでバカ長い軸距に見えますw
1978年まで【政府チャーター列車@ブルートレイン】の専用機を務めた後、一般機関車として使用され1991年に使用停止。現在も廃車体が残ってるってハナシです。。。
《その長い人、ふたたび !?》
1957年にクラウス・マッファイ社は独自に4両目の【V200.0ベース6軸車】を製作!ユーゴさん即納できまっせ♪っとフライング生産でした。。。
しかしテスト走行で最高速度が十分で無いコトが判明!1年をかけて再建します。
1500PSエンジンx2基搭載に改め【ML 3000 C'C'】と型式変更。

1963年にDBにリースされ【V300 001】の名を受け、翌年1964年にDBに購入されました。
1968年のDB@称号変更により【V300 001→BR230 001】にふたたび形式変更。
1975年までDBで使用。1977年にイタリアに売却されたが全長ながすぎ!でキャンセル!?
1978年にドイツへ持ち帰り、、、1980年に解体されたそぉな。。。

以上『の~ん面』のムーミン一族のお話でした。
PS:良くも悪くもの強烈な教訓を残した【独逸@液体式DL】の血を引くDD54。
上手く立ち回り、事業車として生き抜き、、、CIWL荷物列車を牽いていたと妄想w
コメント
コメント一覧 (2)
これはまた興味深い価値ある記事ですね。
私もV200が名機なのは知ってますが、
長い人なんて知りませんでしたし、
ドイツ機は蒸機の01や電機の103に比べV200はマイナーな存在。
そこにスポットを当て深く濃く
とても勉強になる記事でした。
TA・MU
が
しました
ご覧いただきアリガトンです。
ムフフやはりオイラと趣味が似てますね~♪
運転室の構造とか動力伝達のカラクリとか flashmanサンもウズいたことかとw
V200がナゼ名機なのか?が今回ハッキリしてスッキリですw
エッと事後承諾となっちゃいましたが『電気式』記事でアメリカ機に関して【地球連邦鉄道】にリンクを張らせていただきました。ココは詳しくわかりやすいflashmanサンに任せるのが正解かと♡
ありがとうございましたん♪
TA・MU
が
しました