東北本線や常磐線の起点であり、かつて東京の北の玄関だった【上野駅】。。。
東北・上越新幹線@開業以前は多数の特急が発着♪ 絵入りトレインマークを目当てに構内を走り回り、ほとばしってた少年の日々、、、血わき肉躍る思い出です♡思い出だけで画は残ってない罠(TT

しかし・・・改札を出て正面切って謁見したことが無かったオイラ!
いざ対面してみると、、、万感の思いを込めて『あゝ上野駅』と言いたくなる境地・・・
分かった気がします。。。
東北・上越新幹線@開業以前は多数の特急が発着♪ 絵入りトレインマークを目当てに構内を走り回り、ほとばしってた少年の日々、、、血わき肉躍る思い出です♡思い出だけで画は残ってない罠(TT

しかし・・・改札を出て正面切って謁見したことが無かったオイラ!
いざ対面してみると、、、万感の思いを込めて『あゝ上野駅』と言いたくなる境地・・・
分かった気がします。。。
なんか寂しく、切ない印象を受けるワケは?『え!?主要駅でしょ?』な駅前風景かと・・・
駅前ロータリーは乗客よりも上野駅構内用の荷物搬入優先!?でガッカリ感が漂います(^^;
タクシー乗り場への屋根付き通路が『東京の北の玄関』の威厳をチロッと感じる程度かと。

本駅舎は1932年(昭7)竣工の2代目。。。関東大震災で焼け落ちた初代駅舎。以降、高架化が完了するまで仮駅舎で過ごした上野駅・・・満を持しての2代目駅舎の【正面口】は『乗車客は1階の車寄せから列車ホームへ』『降車客は地下1階(現:荷物搬入口)の車寄せへ』と乗客の動線を考慮した設計でした!車寄せが二層建てなんて!? そこらの主要駅より格上な仕様だったんだねぇ~♪

しかし、車寄せでアプローチなんて優雅な時代から、駅前はバスとタクシーで一杯!利用客多過ぎ!? なご時世に突入。高度経済成長期到来で車社会が台頭・都電廃止・駅前頭上に首都高速上野線が開通 など、大きく姿を変えてゆく正面口界隈。人の動線も南側【広小路口・不忍口】&西側【公園口】への流れに変わり、『車寄せ』と共に【正面口】自体の存在意義も・・・
そこで正面口@下層が担ってい旧小荷物取り扱い用の設備に着目!人の動線を上層に絞り、下層は駅構内の店舗への物流経路に転用!ちょっと切なく感じた【正面口】ですが、二層建て車寄せを有効活用した結果が現状ってコトのよぉです。

今の人の動線からすると 本駅舎@南側【広小路口】が『現・上野駅の顔』といえますね~
同じく南側の山手線ガード下【不忍口】はアメ横および京成線乗り換え口として高需要♪
一方、人の動線から外れた東側【正面口】は『玄関の役目』から意外な転身をしました!

2代目駅舎をそのまま流用した複合商業施設【アトレ上野】が2002年にオープン!
【正面口】の吹き抜け@エントランスや出札窓口区画・貴賓室区画などを商業店舗化!! 2階部両翼@旧駅務区画は飲食店@グルメ街へ生まれ変わり、エスカレーターも設置されました。
また本駅舎のみならず、中央改札から南側@広小路口へ続くグランドコンコース両側もショッピングモール化!そして高架ホーム上@乗り換えコンコース内【エキュート上野】も含め、上野駅全体が複合施設化して華やかになりました♪

商業店舗化された本駅舎ですが、歴史的建造物ゆえの味わいも生かされています。
漆喰の天井や梁に残されている飾り模様♡昭和初期のレトロ感がイイ感じです♪
『東京の北の玄関たる威厳は外見だけぢゃ無いんだゾ!』おみそれしました♡
上野駅の遍歴を画像入りでわかりやすく解説したコチラが非常に勉強になりました♡
そんな上野駅の5・6番線ホーム@日暮里側から上野恩賜公園側を見上げると・・・

山手線越しに見える特撮チックなミサイルっぽいモンが気になります!
上野恩賜公園に入り、特撮チックなモンのあるエリアに近づいてみると・・・

『でっかい↑クジラのオブジェ』と『デゴイチ↑蒸気機関車』を狛犬的に従える建物が!

『生真面目!国立!! ミュージアム!!! 』な圧を発している重厚な面構えに読めない表札w
これぞ、クラファンで世に広く知られるコトとなった《国立科学博物館》です。
《国立科学博物館》、通称《かはく》の[D51 231号機]1976年(昭51)8月、当地に所蔵。

日本国有鉄道での蒸気機関車の活躍は1975年(昭50)12月24日に終止符が打たれました。
終焉の地となったのが北海道@追分機関区。ゆえにミュージアム入りに最期の蒸機@追分機関区のデゴイチが選定されるコトになりました。

当初は国鉄工場最終出場車の[D51 603号機]が国立科学博物館入りする予定でした。
が・・・追分機関区の扇形機関庫にて保管中に火災発生!? モロに被災した603号機。。。

そこで、保存対象外で庫外留置していて無事だった231号機が急きょ所蔵されたのでした!
603号機は前頭部だけ焼け残り、現在は京都@トロッコ嵯峨駅に併設の19世紀ホールにて展示されています。
さぁ~ウワサの《かはく》へ突!
いでよ!めっちゃ特撮@ウル〇ラマンちっくカラーw

てか、どぉしてもソコに置きたかったんだね~>空調排気管に逃げw

ラムダにランチャー!名前からカッケー♪ 男の子ってこぉいうのスキなのよ~(●´ω`●)
宇宙関連ではドラマチックな展開で沸せてくれたコチラ!

小惑星探査機はやぶさ(初号機)のレプリカ。特に造形が好みとかでは無いんですがね・・・

さまざまな困難を乗り越え、奇跡の地球帰還!そして美しく輝き散った結末・・・
『オカエリナサイと言ってあげるわ』と号泣した思いからの推し♪ですかね~(^^;
オイラ的《かはく》のメインターゲットはダイナソー♪




実はダイナソーのデッカイ骨格標本を意識して観察したのはコレが初めて!
あこがれのトリケラトプスやステゴザウルスに謁見♡満足満足ですた♪
しかし、、、《かはく》の展示スペースの狭さには驚いた次第です。。。

『よくぞ、この低い展示室で宙に浮かばせたものだ!』っと感心の展示。
《かはく》の得意とする【はく製標本】も見ごたえあります。

【つの】を持つ野郎たち!

妹んトコのネコの脚の何倍だ?ってなほどワイルドなカナダオオヤマネコ!
尻尾はウサギみたいな【まん丸しっぽ】で可愛かったでしゅ♡
そして最新スマホまで!?

あ。スマホぢゃなくてガラ携でしたねw(゚ロ゚;)ヲイッ!?
最後に《かはく》箱モノ@そのもの♪に萌え萌え♡

関東大震災で先代の施設と資料のすべてが火災により消失!
1931年(昭6)震災復興の一つの象徴として上野の地に爆誕したのが ネオルネッサンス様式の日本館(旧東京科学博物館本館)です。




2008年(平20)に国の重要文化財に指定された《かはく@日本館》

所蔵展示物も箱モノも見ごたえ多し!正直目が回りそうでしたw
上野界隈はこの手のテンションあげあげ物件が多くて、実に『けしからん』です♡
是非、ご自身の眼で『けしからん』ってみてください♪ なんぢゃソレw
駅前ロータリーは乗客よりも上野駅構内用の荷物搬入優先!?でガッカリ感が漂います(^^;
タクシー乗り場への屋根付き通路が『東京の北の玄関』の威厳をチロッと感じる程度かと。

本駅舎は1932年(昭7)竣工の2代目。。。関東大震災で焼け落ちた初代駅舎。以降、高架化が完了するまで仮駅舎で過ごした上野駅・・・満を持しての2代目駅舎の【正面口】は『乗車客は1階の車寄せから列車ホームへ』『降車客は地下1階(現:荷物搬入口)の車寄せへ』と乗客の動線を考慮した設計でした!車寄せが二層建てなんて!? そこらの主要駅より格上な仕様だったんだねぇ~♪

しかし、車寄せでアプローチなんて優雅な時代から、駅前はバスとタクシーで一杯!利用客多過ぎ!? なご時世に突入。高度経済成長期到来で車社会が台頭・都電廃止・駅前頭上に首都高速上野線が開通 など、大きく姿を変えてゆく正面口界隈。人の動線も南側【広小路口・不忍口】&西側【公園口】への流れに変わり、『車寄せ』と共に【正面口】自体の存在意義も・・・
そこで正面口@下層が担ってい旧小荷物取り扱い用の設備に着目!人の動線を上層に絞り、下層は駅構内の店舗への物流経路に転用!ちょっと切なく感じた【正面口】ですが、二層建て車寄せを有効活用した結果が現状ってコトのよぉです。

今の人の動線からすると 本駅舎@南側【広小路口】が『現・上野駅の顔』といえますね~
同じく南側の山手線ガード下【不忍口】はアメ横および京成線乗り換え口として高需要♪
一方、人の動線から外れた東側【正面口】は『玄関の役目』から意外な転身をしました!

2代目駅舎をそのまま流用した複合商業施設【アトレ上野】が2002年にオープン!
【正面口】の吹き抜け@エントランスや出札窓口区画・貴賓室区画などを商業店舗化!! 2階部両翼@旧駅務区画は飲食店@グルメ街へ生まれ変わり、エスカレーターも設置されました。
また本駅舎のみならず、中央改札から南側@広小路口へ続くグランドコンコース両側もショッピングモール化!そして高架ホーム上@乗り換えコンコース内【エキュート上野】も含め、上野駅全体が複合施設化して華やかになりました♪

商業店舗化された本駅舎ですが、歴史的建造物ゆえの味わいも生かされています。
漆喰の天井や梁に残されている飾り模様♡昭和初期のレトロ感がイイ感じです♪
『東京の北の玄関たる威厳は外見だけぢゃ無いんだゾ!』おみそれしました♡
上野駅の遍歴を画像入りでわかりやすく解説したコチラが非常に勉強になりました♡
そんな上野駅の5・6番線ホーム@日暮里側から上野恩賜公園側を見上げると・・・

山手線越しに見える特撮チックなミサイルっぽいモンが気になります!
上野恩賜公園に入り、特撮チックなモンのあるエリアに近づいてみると・・・

『でっかい↑クジラのオブジェ』と『デゴイチ↑蒸気機関車』を狛犬的に従える建物が!

『生真面目!国立!! ミュージアム!!! 』な圧を発している重厚な面構えに読めない表札w
これぞ、クラファンで世に広く知られるコトとなった《国立科学博物館》です。
《国立科学博物館》、通称《かはく》の[D51 231号機]1976年(昭51)8月、当地に所蔵。

日本国有鉄道での蒸気機関車の活躍は1975年(昭50)12月24日に終止符が打たれました。
終焉の地となったのが北海道@追分機関区。ゆえにミュージアム入りに最期の蒸機@追分機関区のデゴイチが選定されるコトになりました。

当初は国鉄工場最終出場車の[D51 603号機]が国立科学博物館入りする予定でした。
が・・・追分機関区の扇形機関庫にて保管中に火災発生!? モロに被災した603号機。。。

そこで、保存対象外で庫外留置していて無事だった231号機が急きょ所蔵されたのでした!
603号機は前頭部だけ焼け残り、現在は京都@トロッコ嵯峨駅に併設の19世紀ホールにて展示されています。
さぁ~ウワサの《かはく》へ突!
いでよ!めっちゃ特撮@ウル〇ラマンちっくカラーw

てか、どぉしてもソコに置きたかったんだね~>空調排気管に逃げw

ラムダにランチャー!名前からカッケー♪ 男の子ってこぉいうのスキなのよ~(●´ω`●)
宇宙関連ではドラマチックな展開で沸せてくれたコチラ!

小惑星探査機はやぶさ(初号機)のレプリカ。特に造形が好みとかでは無いんですがね・・・

さまざまな困難を乗り越え、奇跡の地球帰還!そして美しく輝き散った結末・・・
『オカエリナサイと言ってあげるわ』と号泣した思いからの推し♪ですかね~(^^;
オイラ的《かはく》のメインターゲットはダイナソー♪




実はダイナソーのデッカイ骨格標本を意識して観察したのはコレが初めて!
あこがれのトリケラトプスやステゴザウルスに謁見♡満足満足ですた♪
しかし、、、《かはく》の展示スペースの狭さには驚いた次第です。。。

『よくぞ、この低い展示室で宙に浮かばせたものだ!』っと感心の展示。
《かはく》の得意とする【はく製標本】も見ごたえあります。

【つの】を持つ野郎たち!

妹んトコのネコの脚の何倍だ?ってなほどワイルドなカナダオオヤマネコ!
尻尾はウサギみたいな【まん丸しっぽ】で可愛かったでしゅ♡
そして最新スマホまで!?

あ。スマホぢゃなくてガラ携でしたねw(゚ロ゚;)ヲイッ!?
最後に《かはく》箱モノ@そのもの♪に萌え萌え♡

関東大震災で先代の施設と資料のすべてが火災により消失!
1931年(昭6)震災復興の一つの象徴として上野の地に爆誕したのが ネオルネッサンス様式の日本館(旧東京科学博物館本館)です。




2008年(平20)に国の重要文化財に指定された《かはく@日本館》

所蔵展示物も箱モノも見ごたえ多し!正直目が回りそうでしたw
上野界隈はこの手のテンションあげあげ物件が多くて、実に『けしからん』です♡
是非、ご自身の眼で『けしからん』ってみてください♪ なんぢゃソレw
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