富士山の真南に位置する東海道五十三次14番目の宿場町@吉原宿。
東海道本線@敷設の際に宿場町のはずれに1889年(明22) 鈴川駅(現:吉原駅)が建設されました。
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1949年(昭24) 鈴川駅から吉原宿手前まで延びていた日産重工業専用線を利用し、栄えていた吉原中心街と鈴川駅を結ぶ地方私鉄@岳南鉄道が開業します。

貨物輸送・専用線・工業地帯のイメージが強い岳南ですが、最初は旅客輸送目的だったよぉです。しかし起源が専用線を流用ってトコロが岳南らしぃですね!

富士市は富士川や富士山の伏流水などの水資源が豊富だったこと、大量消費の首都圏から近いこともあり、製紙工業が発展していました。
そして岳南地区は大昭和製紙(現:日本製紙)をはじめとする製紙工業、さらに自動車トランスミッション製造大手@ジヤトコなどが立地し関連事業所も含め工業地帯を形成していました。
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日本大昭和板紙のスポンサードを受けたED403は華やかなカラーリングをしていました。


最盛期には岳南線から分岐した引き込み線・専用線の総距離が本線@岳南線を上回る程の盛況でした。
しかし製紙業界の衰退・JR貨物の合理化などから2012年(平24)に貨物取扱が廃止となります。

現在もその専用線的な風情が残っています。 
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おはねふサン@YouTube 動画ページより 



ここで2009年(平21)1月の岳南鉄道@比奈駅での貨物列車組成風景を偲んでみましょう。
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比奈駅ホーム吉原側から望む。
左側の大昭和製紙富士工場からのワム編成@製品輸送列車を組成中。
右側に日本大昭和板紙吉永工場があり、両工場への貨物取扱で忙しい比奈駅構内でした。


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編成の分割数だけ操車掛を送り込む必要があります。作業場所まで機関車に便乗して移動。


推進運転で入線してきたワム編成。先頭の操車掛が無線にて運転指示を出しています。
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あらかじめワムの連結器を〔開〕にして連結作業に備えています。
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機関士は無線誘導を聞きつつ目視にて後方注視し推進運転に務めます。


転線するたびにポイント切り替えを手動で行います。
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操車掛がに飛び降りてダルマポイントに向かいます。


比奈駅留置線(コキが居るトコ)では編成組成の際『突放』を行います。
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機関車で貨車を推進→走行中に貨車を切り離す→操車掛が手ブレーキ(実際は足踏みブレーキ)を駆使し連結・停車!
なんともアナログな編成組成方法です。が、停止位置を見越して微調整しながらの操車は職人技でした♪



2009年1月では引き込み線で賑やかだった比奈駅@吉原側でしたが・・・
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2019年3月現在
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旅客線のみとなっています。。。
引き込み線のあった大昭和製紙富士工場(現:日本製紙富士工場)と日本大昭和板紙吉永工場(現:日本製紙富士工場吉永製造部)は2020年に閉鎖予定になっています。
沿線各地にあった引き込み線や専用線は線路が剥がされ空き地になっている箇所、宅地化が進んでいる箇所が散見しているのが実情です。



貨物取扱の立役者@機関車達は2019年3月現在 岳南富士岡駅構内に集結されています。
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岳南富士岡駅構内に集められた機関車群を望む。


【ED501】
比奈駅に常駐し、入れ替え作業に専任していました。
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1928年(昭3) 上田温泉電軌@デロ301として川崎造船所にて新製されました。
40t級電機ですが上田では性能過多で持て余し気味だった模様。
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1940年(昭15)  名古屋鉄道へ移籍。デキ500形と名を改めます。
名鉄特有のローマン字体で[501]と表記されました。
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1969年(昭44)9月に名鉄から借り受け、1970年3月に岳南鉄道へ正式移籍しました。
岳南鉄道ではED50形ED501と名を変えますが、車体表記は[501]をそのまま使用。
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2012年(平24)の貨物取扱廃止後も車籍を残していましたが、2015年(平26)  3月31日付けで廃車となりました。



【ED402・ED403】
岳南鉄道の貨物主力機で本線での貨物列車牽引を本業としていました。
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1965年(昭40) 松本電鉄(現:アルピコ交通)@ED40形として日本車輌にて新造されました。
40t電機で2両のみ新造されました。車番がED402・ED403と01を飛び番で名付けられたのは・・・
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松本電鉄に既存していたED301からの続番で02・03となったのでした。
1965~1969年にダム建設の資材運搬という一過性の目的の為の新造でした。

1971年(昭46)に2両揃って岳南鉄道へ移籍。ED402・ED403の車番はそのまま継続で使用されました。
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2005年(平17)にED403が赤地にクリーム帯の日本大昭和板紙カラーへ変身。さらに2011年に茶色地にクリーム帯へとカラーチェンジしました。

ED403は2012年(平24)  貨物取扱廃止の直前にMG故障のため戦線離脱。
2015年(平27)に廃車となり、売却先を一般公募しています。

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一方、ED402は岳南@貨物取扱廃止後も車籍を有しています。
過去にイベント〔岳南電車まつり〕の際、ED501を展示場所まで本線@牽引したこともあります。



【ワム80000形】
どっこにでもあった2軸有蓋貨車。晩年は青い車体の保守向上車=紙輸送の図式でした。
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車軸受けをコロ軸受け改良し保守性を向上させたワム8000は青ワム化@青22号色化されました。大型ロール紙輸送はコンテナ使用へシフトしていきましたが、青ワム使用の車扱貨物列車は岳南@貨物廃止まで生き残ってくれました。0752
岳南と言えばワム!なだけに2両のワムがJR貨物よりプレゼントされたよぉです。




【ED291】
1927年(昭3) 豊川鉄道(現:JR飯田線の一部)のデキ52形として日本車輌+東洋電機にて製造。
豊川鉄道の戦時買収・国有化によりED291と改名。1953年(昭34)に岳南鉄道へ移籍。
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非常時の予備機として休車状態で岳南富士岡駅構内に長年留置されていました。
画像は2000年(平12)10月 岳南富士岡駅構内です。この段階ですでに休車からだいぶ経っていました。
非常用の予備機とは言うものの、車輪・台車周りにクラックが入る重篤状態だったので貴重な産業遺産の保護的な意味合いで車籍を残していたのかもしれません。
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2015年(平27)の除籍廃車、そして2019年現在も一貫してこの地に留置されています。
しかし、2019年3月の[岳南電車まつり]の際、一般参加企画@らくがき機関車でED403と共にキャンパス代わりになりました。今後の処遇が気がかりでなりません。


比奈駅構内の岳南江尾駅側に多くの廃車体が置かれていました。
岳南は昔っから廃車体を処分しない社風だったよぉですw
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この廃車体と同時期に活躍していた車輌が大井川鉄道へ譲渡されていました。

【岳南鉄道モハ1105】
1960年(昭35)汽車会社製→1981年(昭56)譲渡【大井川鉄道モハ1105】→1996年(平8)廃車後、千頭駅構内@物置化→2016年(平28)解体。
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見てお分かりの通り日本車輌が地方私鉄用に設計した17m級〔日車標準車体〕です。
が、このモハ1105は汽車会社製。しかも銀ピカのステンレスです。はてな?でしょw
実は岳南はモハ1101(とモハ1103)を1959年(昭34)日本車輌製@日車標準車体で導入しています。
さらに同じ車体形状を汽車会社にも発注。1959年にモハ1102として受け取っています。
翌年の1960年(昭35)にモハ1105が納品されるのですが・・・汽車会社は新たな試みで骨格は鉄製・外板をステンレス鋼というセミステンレス構造で車体を試作!1960年(昭35)にアジア鉄道首脳会議(ECAFE)の鉄道車輌展示会に出展した後に岳南へ納品されたのでした。
な~んとなくですが、『同じ車体形状で製造するからさ~ウチの新機軸を試させてくんない(^^;』なんコトがあったんじゃねぇ~の?って勘ぐってますw
コチラにもっと踏み込んだ考察がありました。実に興味深い^-^)



最後に岳南5000系が活躍していたころの比奈駅入場券と車内補充券をご紹介。
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岳南では2019年(平31)の世でも有人駅では硬券乗車券が発券されています。
かつてイベント時に、使用済み硬券乗車券つかみ取り大会などもあったよぉです。
一日乗車券もD型硬券ですしね♪ ただし・・・有人駅でもパンチはありません(TT
いわゆる入鋏省略ってヤツですね~(懐


以上、追憶の岳南鉄道でした。