2020年5月7日、九州は大牟田に残っていた三井化学専用線の運行が終わりました。
これをもって三井三池炭鉱専用線@炭鉱電車の系譜は絶えることになりました。
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三井三池炭鉱専用線の最末期の姿を回想して偲んでみたいと思います。


【三井三池炭鉱専用線とは】
明治期から三池炭鉱の石炭輸送と資材輸送の為に敷設された企業専用線。大牟田をぐるりと囲むように点在していた各抗を経由して出荷地である三池港を結んでいました。
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沿線には炭鉱労働者の炭住も多く点在し、炭鉱労働者輸送や関係者家族の日常の足として一時期地方鉄道線に昇格させ旅客輸送も行っていました。その時に沿線の人達から親しみを込めて【炭鉱電車】と呼ばれたのでした。
1997年に石炭輸送が廃止され大部分は廃線となりましたが、系列会社の三井化学への原材料輸送のため旭町線・約2kmが三井化学専用線として残されました。しかし原材料入手経路変更により2020年5月で役目を終えるコトになったのでした。



【凸型電機(´∀`*)】
1997年(平9)3月に三池火力発電所への石炭輸送廃止をもって三井三池炭鉱線は廃止となります。その1か月前、1997年2月10日に訪問した三池港駅の姿を振り返ってみましょう。

この時は島原外港から海路にて三池港に上陸。
徒歩で三池港駅へ訪れたのですが、出迎えてくれたのがこの2両!
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左後@15t機・5号電車・右前@20t機・1号電車。一般立ち入り可能な位置に撮影してください!とばかり展示w
見るからに企業鉄道の産業機械!っぷりな風貌にテンションMAX♪ そして背景の巨大ホッパー@石炭積み込み施設に圧倒されました!! だだっ広い港湾をテクテク歩いてきた苦労が報われた瞬間でしたw


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ナンともソソられる外見をした三池事業所・鉄道課にて見学許可を頂きました。


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左手に巨大ホッパー。右手の鉄道事務所の一角は信号所となっていました。


三池火力発電所への石炭搭載列車が2本居ました。

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手前の45t機・19号電車は1937年(昭12)芝浦製作所+汽車会社製。
奥の45t機・20号電車は1943年(昭23)東芝車輌製。書類上では昭和24年2月に南海@ED5154を譲受となっていますが、同機は南海へ納入されず直接三池入りしているとのこと。


三池港駅構内の奥へ入ると検修庫が並んでいました。
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検修庫内で整備中の45t機・18号電車。1937年(昭12)芝浦製作所+汽車会社製。
19号電車と兄弟揃って三井化学専用線では2020年まで牽引機として現役続行!


炭車の整備庫では20t機・5号電車が働いていました。
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20t機・5号電車は1915年(大4)三菱合資会社(のちの三菱造船)製です。
実は展示機の20t機・1号電車 1911年(明44)ドイツ・シーメンス製をコピー@国産化したモノでした。



【異文化交流(^^♪】
珍車@電源車・デ3をつないだ20t機・12号電車が休んでいました。
工場内で引火性の高い物質を扱う区画への運用ではパンタグラフのスパークが起因で事故を起こすことを懸念して非電化にしていました。同区間へはバッテリーを積んだ電源車から電力供給を受け走行していました。
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20t機・12号電車は1918年(大7)三菱造船製です。20t機@9・11・12号電車が、電源車@デ1・3・4と共に三井化学専用線へ転属し2020年まで活躍しました。
日本最古の現役電機と言われた同機!構造が単純かつ電源車使用の低速入替業務だったからこその長寿だったよぉです♪



コレまた珍車!検重車・検1および検2。
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ばら積貨物を扱う企業ゆえに荷の出荷量を計る施設があります。その秤量所の秤量器を校正するための基準質量を自重とする台車がコレ。台車自体も1年おきに検査されていました。



三池港駅の最深部に関係者輸送で活躍した客車@ホハ201が居ました。
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マドから察する通り省電@ロクサンをベースとした自社発注車でした。
三段窓や妻面ベンチレーターなどロクサンの原型を色濃く残した客車でした。
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1950年(昭25)日本車輌製です。椅子まで総板張り。
まぁ炭鉱労働者輸送を考えれば納得ですな~
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関係者輸送は1946年(昭21)から1984年(昭59)までと長い期間運用されていました。
炭鉱労働者の輸送のほか、関係家族の通勤通学にも利用された旅客輸送。
最盛期には朝5時から深夜1時まで運行していたそぉなので沿線住民からの親しみも深かったことでしょう。



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無蓋車はハト。有蓋車はユト。ちなみに炭車はセナ。


保線関係の車両も居ました。
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中央の青いモーターカーと架線作業車や無蓋車@ハト32・152は三井化学専用線へ引き継がれました。 そして、意外なコトに、こんなトコロに!! 今後も保存されるそぉな。



【今見ると、ナント!?】
帰り際に見かけた休車群。
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15t機・6号電車。1908年(明41)ジェネラル・エレクトリック製。
実は国鉄最古の電機@EC40形より4年も前に導入された日本最古の電機だったりします。

三池港構内船積用の入換電車として活躍。
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直流600Vの直接制御!手動ブレーキ!! 恐ろし気な産業機械ですな!!!

正面右側にぶら下がってる箱は主電源スイッチ。その下の箱は避雷器!? 
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連結器の脇の穴は元バッファー取り付け穴!バッファー間隔50cmしか無かったそぉな!!!
その後、両脇ステップがふさいでいる丸い妖し気な部位にバッファーが移設されて見覚えのある感じになりますw バッファー萌えな欧州ファンなお方はコチラが良きモノかと♪


次位に居た20t機・4号電車の車内はこんな感じでした。
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コチラも横向きで乗務。20t機@本線用は1976年(昭42)に直接制御式から間接制御式に改造されています。また20t機・1~4号電車はシーメンス機でしたが主電動機は国産品へと換装されまています。



ピカピカの45t機・21号電車が炭車の入換を行っていました。
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45t機・21号電車は1949年(昭24)東芝車輌製。三池@自社発注車です。
45t機・20~22号電車は1949年製で同級生です。しかし20・22は東芝凸型標準ですが22は西鉄からの譲渡車。21は台車が違うマイナーチェンジ車と3車とも全くの同型ではありませんでした。

一方18・19は小さな形状の差異はあるモノの純粋な兄弟機でした。その差が三井化学専用線での運用を1937年製の古いが同型機に任せるとの結果になったのでわ?と勘ぐっています。



【異文化交流を終え・・・】
最後に鉄道課に寄りお礼を述べ三池港駅を後にしました。
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本線をまたぐ大踏切にて三池港駅を振り返りました。
とても廃線を迎える雰囲気には思えない活気が残っているよぉに思えました。

が、その先の石炭荷卸し用の高架橋はすでに撤去作業が進んでいました。。。
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何本もの高架橋があったんですね!
先ほどの活気など比べもモノにならないほどの光景が広がっていたのでしょうなぁ~。。。見てみたかったorz
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まだ荷卸しの痕跡を残したまま撤去作業が進められていました。。。


三井三池炭鉱専用線(1992年当時)
15t機@14両・20t機@16両・45t機@6両
電源車@4両
炭車@344両
無蓋車@9両
検重車@2両 
保線用ほか・略


三井化学専用線(2020年5月)
20t機@3両・45t機@2両 (部品取り用:20t機@2両・45t機@1両)
電源車@3両
無蓋車@2両
検重車@2両 
保線用ほか・略


保存機(三川抗跡にて静態保存@屋根付き展示)
15t機@5号電車・20t機@1号電車・20t機@5号電車・45t機@17号電車





【三池港の炭鉱電車に触れてみて】
バッファー装備の明治期から大戦を経て、平成の世までの途方もない時間。。。
けして楽な仕業じゃなかったハズなのに、それを耐え凌いだ技術力と労力!!
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2軸炭車からコンテナ車へと相手が変わっても赤い凸型電機が活躍を続けた偉業!
振り返ると、その道筋は偉業と言う以上の尊さがあるとオイラは感嘆頻りです。

敬意を込めて 炭鉱電車よ おつかれさまでした。

ちゃんと公開がはじまったら逢いに行きたいと思います。^-^)