鉄道華やかしき時代の象徴と言えば この展望車でしょう♪
マイテ39 11ですぅ(●´Д`●)アーン
映画版@銀河鉄道999で展望車が採用された時は小躍りしたもんですw
なんせ内装は・・・
こんな装飾ビッカビカですし! なんか大奥!ってなノリでしょw
この車輌は戦前の昭和初期 海外の観光客誘致のために〔日本〕を意識して作られたそぉです。
外国人には好評だったよぉですが・・・日本人から見ると霊柩車を思わせるため不評だったため早々に予備車になっちゃったみたいです(^^;
マイテ39 11(登場時はスイテ39 2)は〔特別急行・富士〕用に1930年(昭5)に作られたモノだったのでした。
その当時 特別急行と呼ばれる列車は〔富士〕〔桜〕〔燕〕の3本しかなく〔特別急行・富士〕は1・2等だけで編成された大陸連絡列車でした。
東京~下関を結び その先は下関~釜山の関釜連絡船に接続し 朝鮮・満州・中国・シベリア鉄道をへて欧州へ至る〔国際連絡運輸〕の一翼を担う〔大日本帝国の国威〕を象徴する列車でもありました。
〔鉄道博物館〕では〔大陸連絡列車〕として新時代の列車到来!を再現しています。
東京駅ホームに横付けされた庶民では手の届かない展望車のかたわらで
この列車で旅発つセレブなご婦人方の会話が再現されています。
当時はこの展望車@一等車に乗れる人はごく限られた人達だけだったよぉです。
どんな方々かと言うと皇族やら上級将校@軍人やら政界人やらの上流階級なお方達で 一般には発売すらしてなかったそぉです。。。
まぁ3等の4倍のお値段だったそぉですから・・・
戦後 特急〔つばめ〕@復活の際『特急というならば一等展望車が不可欠!』ということで進駐軍に接収されていなかった展望車を再利用することになりました。
進駐軍用の車軸駆動冷房装置の在庫を流用して冷房搭載。
戦災で破損の大きかったスイテ39 1の装飾をスイテ39 2に移植。完全なカタチの桃山式を復元したことは今となっては称賛に値します♪
冷房化したことで軸重が増えたためマイテ39 11と名を変えての復活になったのでした。
ここでちょっと気になったコトが・・・
〔鉄道博物館〕が開館する直前に各鉄道雑誌で特集が組まれていましたが
その時の画像を見ると〔富士〕のローマ字表記が〔HUZI〕となっていました。
某掲示板では「その表記おかしくね?」などと話題になっていましたが、実は戦前の特別急行・富士は〔HUZI〕と表記する方が正しいのでした。
なして現在の展示は〔FUJI〕なんだ???っと つまらないコトですがね(^^;
国鉄でも1947年(昭22)鉄道掲示規程でヘボン式を正式採用しました。
〔鉄道博物館〕のマイテの展示は時代設定と車輌形態とがバラバラになっているのです。
そもそも戦前の富士ならば〔塗装@ぶどう色1号〕で〔等級帯@白〕で〔非冷房〕なハズなのに
車輌形態は〔塗装@ぶどう色2号〕〔等級帯@薄クリーム〕〔冷房搭載済み〕なのです。
コレには《鉄道博物館としてのポリシーに乗っ取って復元展示をしている》というのが矛盾を生んでいるのです。
それは【展示車輌の形態は現車の廃車時の形態を尊重する】ということ。
そして【車輌や設備 そして当時の風俗をも含め鉄道を総合的に展示する】ということが《鉄道博物館のポリシー》だったのでした。
☆情景再現展示としては《戦前の大陸連絡列車》で展示
★車輌復元としては《戦後のつばめ用整備》で復元
*テールマークは車輌の一部なのでヘボン式の〔FUJI〕で表記
となったのでしょうねぇ~
でもね~戦後に昼中特急として〔富士〕は走ってないワケだし・・・〔HUZI〕でもよかったんぢゃね?と思うのはオラだけかな(^^;
たぶん〔鉄道博物館〕でもそこらへんに矛盾を感じてるとは思うけどねw
〔HUZI〕表記で先行公開してたぐらいだからねぇ~
そのテールマークですが・・・薄っ!w当時は〔燕〕と同様のアンドン式のよぉに厚みのあるテールマークだったよぉですよ~
ちなみに戦時中のテールマークはローマ字表記を削除して〔富士〕の日本語表記のみで掲示されていました。
参考文献: とれいん増刊 rail@81年秋号 RailMagazine@07年11月290号
追記:
2019.11.16.京都鉄道博物館に所蔵のアンドン式【富士】テールマークを見ることが出来ました。
新編ではテールマークについて詳しく触れていないのでコチラにてご開帳です。
以上、マイテ編~調べれば調べるほど惚れる展望車~編でした。
マイテ39 11ですぅ(●´Д`●)アーン
映画版@銀河鉄道999で展望車が採用された時は小躍りしたもんですw
来春にJR東の新幹線E5系ではリッチなグリーン車が付くみたいですが、このマイテ39 11にゃかなわないでしょうねぇ。。。
なんせ内装は・・・
こんな装飾ビッカビカですし! なんか大奥!ってなノリでしょw
外国人には好評だったよぉですが・・・日本人から見ると霊柩車を思わせるため不評だったため早々に予備車になっちゃったみたいです(^^;
マイテ39 11(登場時はスイテ39 2)は〔特別急行・富士〕用に1930年(昭5)に作られたモノだったのでした。
その当時 特別急行と呼ばれる列車は〔富士〕〔桜〕〔燕〕の3本しかなく〔特別急行・富士〕は1・2等だけで編成された大陸連絡列車でした。
東京~下関を結び その先は下関~釜山の関釜連絡船に接続し 朝鮮・満州・中国・シベリア鉄道をへて欧州へ至る〔国際連絡運輸〕の一翼を担う〔大日本帝国の国威〕を象徴する列車でもありました。
〔鉄道博物館〕では〔大陸連絡列車〕として新時代の列車到来!を再現しています。
東京駅ホームに横付けされた庶民では手の届かない展望車のかたわらで
この列車で旅発つセレブなご婦人方の会話が再現されています。
当時はこの展望車@一等車に乗れる人はごく限られた人達だけだったよぉです。
どんな方々かと言うと皇族やら上級将校@軍人やら政界人やらの上流階級なお方達で 一般には発売すらしてなかったそぉです。。。
まぁ3等の4倍のお値段だったそぉですから・・・
戦後 特急〔つばめ〕@復活の際『特急というならば一等展望車が不可欠!』ということで進駐軍に接収されていなかった展望車を再利用することになりました。
進駐軍用の車軸駆動冷房装置の在庫を流用して冷房搭載。
戦災で破損の大きかったスイテ39 1の装飾をスイテ39 2に移植。完全なカタチの桃山式を復元したことは今となっては称賛に値します♪
冷房化したことで軸重が増えたためマイテ39 11と名を変えての復活になったのでした。
ここでちょっと気になったコトが・・・
〔鉄道博物館〕が開館する直前に各鉄道雑誌で特集が組まれていましたが
その時の画像を見ると〔富士〕のローマ字表記が〔HUZI〕となっていました。
某掲示板では「その表記おかしくね?」などと話題になっていましたが、実は戦前の特別急行・富士は〔HUZI〕と表記する方が正しいのでした。
なして現在の展示は〔FUJI〕なんだ???っと つまらないコトですがね(^^;
ローマ字表記には現在主流のヘボン式と 表音主義に即した訓令式があります。
ヘボン式は戦後アメリカ統治の影響で主流になったのでした。国鉄でも1947年(昭22)鉄道掲示規程でヘボン式を正式採用しました。
〔鉄道博物館〕のマイテの展示は時代設定と車輌形態とがバラバラになっているのです。
そもそも戦前の富士ならば〔塗装@ぶどう色1号〕で〔等級帯@白〕で〔非冷房〕なハズなのに
車輌形態は〔塗装@ぶどう色2号〕〔等級帯@薄クリーム〕〔冷房搭載済み〕なのです。
コレには《鉄道博物館としてのポリシーに乗っ取って復元展示をしている》というのが矛盾を生んでいるのです。
それは【展示車輌の形態は現車の廃車時の形態を尊重する】ということ。
そして【車輌や設備 そして当時の風俗をも含め鉄道を総合的に展示する】ということが《鉄道博物館のポリシー》だったのでした。
☆情景再現展示としては《戦前の大陸連絡列車》で展示
★車輌復元としては《戦後のつばめ用整備》で復元
*テールマークは車輌の一部なのでヘボン式の〔FUJI〕で表記
となったのでしょうねぇ~
でもね~戦後に昼中特急として〔富士〕は走ってないワケだし・・・〔HUZI〕でもよかったんぢゃね?と思うのはオラだけかな(^^;
たぶん〔鉄道博物館〕でもそこらへんに矛盾を感じてるとは思うけどねw
〔HUZI〕表記で先行公開してたぐらいだからねぇ~
そのテールマークですが・・・薄っ!w
ちなみに戦時中のテールマークはローマ字表記を削除して〔富士〕の日本語表記のみで掲示されていました。
参考文献: とれいん増刊 rail@81年秋号 RailMagazine@07年11月290号
追記:
2019.11.16.京都鉄道博物館に所蔵のアンドン式【富士】テールマークを見ることが出来ました。
新編ではテールマークについて詳しく触れていないのでコチラにてご開帳です。
以上、マイテ編~調べれば調べるほど惚れる展望車~編でした。
コメント
コメント一覧 (2)
展望車ってオラ的にはNゲージで知って~銀河鉄道9●9@劇場版で憧れて~な存在でしたのでとっても好きな車輌でありますですハィ♪
いろいろと不思議で謎が多い車輌でもあるので興味が尽きませんw
たとえば定員とか指定券の発行とかどぉしたんだろ?などなどw
やっぱ時代が時代ですので座席指定は完全に把握するのは厳しかったよぉで特ロも展望車も号車指定@定員制だったよぉです。
戦後の「つばめ」の展望車は展望室のソファーは定員外で 3列シートのリクライニング席分だけが定員だったよぉですよ~
ぜひとも鉄博でタイムトリップしてみてくだされ♪
TA・MUさんの薀蓄の数々、参考になります(^^ゞ
そっかぁ、そうなのかぁ・・・って感じでございます。
今度鉄博に行ったら、それを踏まえてじっくり観察してこようと思います。